2013年8月26日月曜日

Picture from CANADA

カナダで永住権を取得した先輩から
突然届いたメールを開いてみると、
すごくきれいな写真が添付されていた。

しかも何のメッセージもなし(笑)

昔から、その先輩を追いかけ、
学び、感性を盗み、スケボーを楽しみ、
夜な夜な缶コーヒーを一緒に飲んでは
傍から見たらさもない話を熱心にした。

その時間があったから、 今の自分があるように感じる。

その先輩がよく言ってたけど、
昔はスケートボードという文化が 今ほど日本に浸透していなかった。
というより、ネットもなかったから こんなに簡単に情報入手できなかった。
だから、先輩が入手したスケートビデオをダビングし、
テープが擦り切れるまで 何度も同じフッテージを見て、
興奮し、練習したらしい。

今は、情報社会。

なんでもYoutubeに上がってる。

言いかえたら勉強し放題。
最高のフッテージがタダで しかも場所を選ばずに楽しめる。

すげー時代だ。 あらためて。











※CANADAから送られてきた写真。
すげーいい感じ(笑)

2013年8月25日日曜日

風立ちぬ&TED

一日休みが出来たので、
しかも一人で行動できる珍しい機会という事もあって、
所沢へトコトコ。

何の気なしに入った西武で、
「風立ちぬ原画展」を開催しており、
ふらっと立ち寄ってみた。

http://www2.seibu.jp/wsc/024/N000058732/0/info_d
8月26日までらしいので、興味のある方は是非。

背景画も沢山あるのですが、
色使いが半端ないです。
というか、「風立ちぬ」見る前に、絵だけ見ちゃった。

帰宅後、念願の「TED」を鑑賞。
セス・マクファーレンは本当に凄い。
実は、2005年くらいから「Family guy」の大ファンんで、
日本では見られないので、youtubeで見ていました。

ブラックジョークのオンパレードですが、
「風刺」的な要素がたまらなく面白いし、
こんなアニメーション作るには、
普段から視野を広くしていなくてはならないんだろうなぁと
感じていました。

そこへ来て、この「TED」。
コメディ見ながら途中感動したのは初めてです。
ユダヤ人へのブラックショークなんかは、
「Family guy」と同じだなと思い、
セスワールドにどっぷり浸る事が出来ました。

素晴らしい。




※「TED」監督 セス・マクファーレン

2013年8月23日金曜日

When is better....

いや〜久々の更新です。
このペースだと、1年に2投稿くらいになってしまうぞ。
っま、気ままに更新していきます。
(気まま過ぎるけど・・・・)

さて、非常にいろいろな事がありました。
結婚したり、
子供が産まれたり、
寝返りに驚いたり、
手術したり、
診断結果に驚いたり、
それでも生かしてもらったと先祖に感謝したり。

30歳にもなったし、これまでと違って、
いろいろな意味で守るべきもの、
守りたいものが出来た。
守られてる安心感も教えてもらった。

際限の無い愛をモグモグ食べて
僕たちは大きくなって、
キラキラした目でこの世界に羽ばたいていく。
一歩一歩。でも、着実に。

いつが一番いいのかなんてそこには無くて、
いつでも、自分自身が準備万端であれば、
それはその時なんだと。

ありがとう、皆様。
生かされております。
幸せ者です。






2013年2月12日火曜日

少なくとも・・・

久々の更新。
正直、さぼるとかさぼらないのレベルではないくらいずっと書いていなかった。

その間に、世間も身の回りも目紛しく変わったように思う。
民主党が握っていた(終盤ガタガタだった)政権は、自民党の圧勝で元通りの自民公明連立政権に戻ったし、テレビのバラエティは本当にお腹を抱えて笑えるものも無くましてや、「なるほどぉ〜」と思えるものも無い状態。
唯一NHKだけが興味をそそる情報を放送している。実は、バラエティやドラマも民放より面白いんではないだろうか。

世界は、日本は、今どのように変化しているのだろう。
この国は、どうなってしまうのだろう。いい意味でも、悪い意味でも。

「広い視野で物事を見定めなくてはならない」と、購入する本で最近よくこの言葉を見るのだけれど、ノマド化すると言われている未来は本当に幸せな世の中なのだろうか?

15年ほど前、僕はまだ幼かった頃、台湾の台中市という田舎町によく行った。
幼少だったからだろうか、感性はまだ確固たるモノを持っておらず、柔軟だった。
日本を離れる瞬間、つまり台湾に向かう瞬間は日本というホームグラウンドの心地よさから離れたくない気持ちが強く、憂鬱な気持ちで機内から見える日本を眺めていた。
でも、台湾の人や、モノ、空気(排気ガスや騒音など)に触れると、日本を出るときのあの気持ちは一掃され、素直に居心地が良かったのを覚えてる。
現地では、おじさんたちが挨拶代わりにタバコを差し出す。お互いに差し出すから双方が相手の銘柄のタバコを吸い、軽くほめる。
一見無駄なように見えて、面倒な気を使う挨拶を割愛するための重要なコミュニケーションだ。無駄なように思えることも、その土地の文化や風習をうまく汲んでおり、実は凄く重要なモノだったりする。

最近、よくその頃の気持ちを思い出す。
モノの満ち足りている社会を当たり前だと思って過ごしている僕らは、工夫を忘れているように感じる。
モノが満ち足りることを人は「幸せ」と呼ぶのだろうか。
モノが満ち足りていないことを人は「不幸」と呼ぶのだろうか。
正直、どちらでもいい。
ただ、僕個人は「幸せ」も「不幸」も自分次第だと思っている。
他人と比べることをするのではなく、自分を冷静に見ることが重要な気がする。
「忘己利他」なかなか出来るものではないけれど、今一度コンクリートではなく、砂利や泥にまみれて自らを考え直すべき時なのかもしれない。

モノ有り余って、盲目になってやしないだろうか。
モノ有り余って、満足がぼやけてはいないだろうか。

少なくとも僕は忘れている。